余韻という言葉に、もう一度立ち返る


2025年も、残りわずかとなりました。

この一年を振り返りながら、今村茶園に関わる中で考えてきたことを、

ここに残しておきたいと思います。


映像や写真、言葉、SNSを通じて、

今村茶園という名前を目にしていただく機会は、少しずつ増えてきました。


マーケティングやブランドという視点で見れば、

この数年間は「まずは知ってもらうこと」に

意識を向けてきた時間だったと思います。


今村茶園らしさとは何か。

どんな空気感で、どんな距離感で伝えるべきか。


試行錯誤を重ねながら、形を探してきました。


ただ、4年目に入る今、

私の中に残っている感覚もあります。


それは、


「この表現は、

お茶そのもので十分に伝わっているのだろうか」


という問いです。



私は、あまりお茶を飲みません


ここで、少し個人的な話をします。


私は、日常的にお茶をたくさん飲む人間ではありません。

むしろ、コーラやエナジードリンクを

口にすることの方が多い生活をしてきました。


もし、それらをすべて入れ替えられる何かがあるなら、

迷わず試してみたいと思っています。


そんな立場の人間が、

今村茶園に関わり、

お茶について考え続けています。


今思えば、

この距離感だからこそ見えてきたことも

あったように感じます。



2023年、余韻という感覚に出会っていた


2025年の終わりに

「余韻」という言葉について考えていたとき、

2023年の記憶を思い出しました。


今村茶園に携わる前、

霧島を訪れ、

「お茶を飲んでみよう」と思った日のことです。


鹿児島から東京に戻り、

日常に戻った中で、

改めて今村茶園のお茶を淹れました。


そのとき最初に浮かんできたのは、

味の印象ではなく、


園主・今村広嗣、

女将・今村里美。

そして今村家のみんなの顔でした。


話した時間は、2、3時間だったと思います。


それでも、

微かな優しさや暖かさ、

言葉にされなかった苦しみや悲しみのようなものが、

自然と思い出されました。

 


今となっては、

自分の親族よりも、

会う機会や、同じ時間を

共に過ごしている存在かもしれません。


畑で過ごす時間。

作業の合間の会話。

言葉にならない沈黙。


そうした積み重ねの中で、

人となりや、背負ってきたものが、

少しずつ伝わってきたように思います。


そして、

あの場所の空気、音、風景、香りが、

お茶を飲み終えたあとに、

静かに続いていました。


今思えば、

それが「余韻」だったのだと思います。



逃げなかった、という感覚


そのとき、

理由もなく、

自分が何とかする、と強く思いました。


自信があったわけではありません。

計画があったわけでもありません。


ただ、

胸の奥から、

乾ききった場所を突き破るように、

何かが湧き上がってきた。


喜びでも、

悲しみでもない。

怒りとも違う。


それでも、

煮えたぎるような熱だけが、

確かにありました。


振り返ると、

これまでも、

胸の奥で煮えたぎるような感覚を

何度も経験してきました。


ただ、その多くは、

自分一人の熱だけが先に立ち、

途中で

「何か違うな」と感じて、

距離を取ってきたようにも思います。


それでも今回は、

その違和感の手前で、

踏みとどまりました。


これに、

すべてをかけてみよう。


そう思ったのです。


うまくいかなかったら、

そのときは、

また何とかすればいい。


そして今回だけは、

逃げなかったと思うのです。



表現が、少し先に進みすぎてしまったのかもしれない


マーケティングとしては、

認知は広がった。

今村茶園らしいイメージも、伝わっている。


けれど、

そのすべてが

一杯のお茶の中に

回収されているのか。


映像や言葉、空気感といった

外側の表現が、

少しだけ先に進みすぎてしまったのかもしれません。


「美味しい。けれど、何かが違う」

「これは、お茶なのだろうか」


そんな感覚が、

少しずつ、

はっきりしてきた一年でした。



余韻という言葉に戻ってきた理由


余韻とは、

鐘をついたあとに残る

響きのようなものです。


音は消えているのに、

空気の中には、

まだ何かが残っている。


転じて、

あとに残る味わい。

言外の余情。


飲んだ瞬間ではなく、

飲み終わったあとに、

人の中で静かに続いているもの。


今村茶園が向き合うべきものは、

そこなのかもしれないと、

今は考えています。



私は、お茶農家ではありません


最後に、

立場について書いておきます。


私は、お茶農家ではありません。

これからも、その立場になるつもりはありません。


プロデューサーとして、

表現を続けてきた人間です。


だからこそ、

味や製法だけでなく、

空気や時間、

飲んだあとの感覚について

考えてきました。


それは、

茶業界の中だけで完結させるためではなく、

業界の外にいる誰かにも

届くものをつくりたいと思ったからです。


勝つためではなく、続けるために


今村茶園の何かがあることで、

誰かが、

もう一度立ち上がれる。


負けそうでも、

うまくいっていなくても、

それでも

「続けてみるか」と思える。


お茶なのか、

それとも別の何かなのかは、

正直、まだ分かりません。


ただ、

飲み終わったあとに、

何かが静かに残る。


その感覚を信じて、

これからも表現を続けていきます。



2026年に向けて


2026年は、

今村茶園の何かが、

誰かの中に

小さな余韻として残るなら、

それで十分だと感じています。



今年一年、

今村茶園に関わってくださった

すべての方に、

心から感謝いたします。


遠くから見守ってくださった声も、

そのすべてが、

今の今村茶園を形づくっています。


2026年も、

立ち止まりながら、

問い続けながら、

この場所にしか残らない余韻を

探していきたいと思います。


来年も、

今村茶園を

どうぞよろしくお願いいたします。



Yoshihiro Shimazu

今村茶園 プロデューサー Yoshihiro Shimazu